母と義母との会話で感じたこと

日常

お正月 ゆっくりしたい気持ちと裏腹に夫の実家へ行き 自分の両親と会う

新年のルーティーン

年が明け ダラダラこたつでまったりしたい気持ちとは裏腹に 近くに住む義理の両親への元へ。徒歩3分なのにダルい。例年、その日か翌日にわたしの実家へ行くのが恒例となっている。
ただ コロナが蔓延し始めて迎えた昨年の正月から 食事なし 挨拶だけ という簡素スタイルになった。今年も簡素スタイルは継続。最高。

夫の両親も わたしの両親も 面白いくらい言い合いをする夫婦だ。年明け早々、言い合う姿を見ていて一安心してしまう。本人たちは気付いていないだろうが 言い合っている=仲良くしている が私の判断。

実家の居心地について

おせち料理

まだ コロナが蔓延する前 正月が過ぎるときまって義母が 娘の嫁ぎ先での話をしてきた。
エアコンをつけてくれないから寒いらしい。夫が気を遣ってくれないらしい。正月くらいゆっくりしたいだろうになぜ呼び出すのだろう。聞きながらそっくりそのままお返しするよ!と思いながら聞いていた。

話を聞いた後は 自分の母に義母から聞いた話と愚痴を言うのがいつものパターンだった。ただ コロナになった事で義母も話す愚痴がなくなり わたしは愚痴を聞かないで済むようになり 母にも嫁ぎ先の悪口を聞かせなくて済むようになった。それを良かった と夫に話したところ 

どんな話でも 娘の話は聞きたいんじゃない?

と夫がやや変な返答をしてくる。どういう意味だろう、と考えていた。ふと わたしの脳内に電撃が走る。え?え?もしてかして どちらの両親も

やっぱり家の方が 居心地が良いのよね

と話を聞きながら感じているのでは?義母は娘から嫁ぎ先の話を聞き何も言わずとも 家の方が居心地が良いのだろうな と思っていただろう。そしてまた わたしの愚痴を聞く母も やっぱり家の方が良いのよね と思いながら聞いていたのかもしれない。ちょっとゾっとしてきたぞ。そんな事は決してないのに。

自分の息子や娘にも

2022年の大雪

考えてみると 将来わたしもそうなるのだろうか? と思ってしまう。ちょっと前まで手がかかる子供たちだった彼らに あなた達が独り立ちしたら 子供部屋を潰して吹き抜けにするんだ と息巻いていたわたし。でも 年頃になった彼らにそんな事は言わない。いや言えない。言ったところで返ってくるのは期待通りの言葉ではなく 勝手にすれば とか ああそう だろう。自分が悲しむ事をわざわざする程アホではない(笑)

雪だるま作った

考えてみると 自分が管理する家を 居心地が良いと思って貰えるのは 誰であっても嬉しい事だ。
家に遊びに来た友人や家族が 居心地が良すぎて帰りたくなくなる と言ってくれるとお世辞だろうが飛び上がる程嬉しくなる。誰しも 自分の家より心地よい場所などないはずだが 嘘でもお世辞でもやっぱり自分が管理している家を褒められるのは嬉しい。

あ~もうこんな時間!帰りたくなくなる!

家に来た人からこのセリフが出たら それはわたしの中で いつも綺麗な家だね!掃除が行き届いてるね! レベルの賞賛に値する。わたしへのエールだと受け取っても良い。母親の前で嫁ぎ先の居心地の悪さを愚痴る事は ある種のエールなのかもしれない。もっと違うエールを送りたいけれど今の所 わたしはまだ母にこのエールを送れそうだ(笑)昨年、今年とエールを送っていなかったけれど もしかすると母はこのエールを待っているかもしれない。

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ともぴん

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